仕事の栞_#4:情報認知の限界。大きすぎる文脈は逆効果?
昨日は都知事選における世の中の情報量が、個人の需要に対して供給過多である、というような話をしてみました。
結果として最もアナログなメディアである選挙公報を基に検討しようというのですから、どんな情報がユーザーにクリップされるかは、文脈によるなあと思います。
クリップという行為が情報伝達において重要な指標であることは当たり前のことすぎてもはや意識すらされていないかもしれません。
YouTubeのチャンネル登録然り、
Amazonのお気に入り然り、
Webサイトのブックマーク然り、
新聞広告を切り抜いておいたり、
なんなら通販CMの電話番号メモなんかも、
古今東西人は自分のためになる情報を忘れないために保有するという行為をしています。
情報量があふれているインターネットの世界だからこそ、クッキー制限によるユーザー行動の追跡が困難になる世の中だからこそ、今一度クリップされるためのインサイトを考えてみるのも必要かもな、と思っています。
結局のところ、どうしたらクリップしてもらえるのかについては、コンテンツの内容や乗せる文脈によると思うので、都度必死こいて考えないといけないと思いますが、少なくとも都知事選というビッグウェーブには、インターネットでの情報発信は不利だなあなんて思います。
トレンド系の情報ブログなんかも同じですかね。どうしたって信頼性のある情報源を重視したくなりますから、大きなトレンドほど情報量ゲームの陣が大きくなって、とれる陣の大きさが相対的に小さくなります。
まあそこで過半数を取れるようなら最強なんですけど。
ということでクリップしてもらうために必要だなと思うことについて整理してみます。
①狙う文脈の情報量を把握する。
②自分の取れる陣の大きさを把握する。
③クリップされることを前提に心理を考える。
さあ、明日は選挙だ。
思考メモとして。2020/07/04