仕事の栞_#4:情報認知の限界。大きすぎる文脈は逆効果?
最近、とある判断を迫られる機会がありました。
その中で、自分の中での力の入れ具合と世の中の情報量に大きすぎる差があると、もういいやってなって情報収集をやめることが判明しました。
判断というのも、都知事選なのですが、投票するからにはそれなりにちゃんと考えて会場に向かいたいなというのが一般的な心情なのかなと思っており、もれなく自分も一般人ですので、週末までに少しは情報収集を試みました。
とりあえず、選挙公報、ポータル、SNS、一通り見てみたのですが、もう無理。
特にネット上の情報量が多すぎてホント無理!ってなりました。
結局、選挙公報だけ見て決めようと心に決め、現在読み込んでいます。
それにしたって21人もいて、全部目を通すのもつらいです。
エンタメ化してきているといっても、やっぱり面白くはない。
目を通した!という自負のためだけに、目を通しています。
自分の中での都知事選というものが、関心のグラデーションで言うとそこまで色濃くないからかもしれませんが、実際のところそうでした。
そんな中で思ったことが、インターネットというツールの中での情報認知の限界です。
あらゆるメディアの中で、インターネットだけが無限に情報を格納することができます。
テレビは基本時間軸に沿っていますし、新聞もページ数が限られます。
ある一定の情報量の中で、コミュニケーションが発生します。
つまり、陣取りゲームが可能です。※SOVといいます。
一方のインターネットでは、陣そのものが存在しません。
決まった陣がないのでシェアも何もありません。
そんなゲームの中で情報伝達の手段として活用されるのが、文脈(コンテクスト)です。
つまり、○○という流行に乗る、などオリジナルで陣を見える化したうえで、ゲームを開始します。
ゲームの参加者は自分一人なので、おのずと成果も自分比になります。
都知事選は、ある意味世の中的な文脈としてはそれなりに大きなものだと思います。
また選挙の目的は、一市民の政治参画です。
明日にまたがってしまいましたが、明日はインターネットでの情報伝達における視点を整理していこうと思います。
思考メモとして。2020/07/03